ヴィトゲンシュタイン哲学の探求


Wikipediaより引用)

ヴィトゲンシュタインといえば、オーストリア出身の著名な哲学者です。

そんな彼の哲学をいくつかご紹介しましょう。

意味のある人生

どんな人生が、意味のある人生か。

ウィトゲンシュタインは、「意味のある人生」とは「幸福な人生」だと言います。
そう聞くと、「不幸な人は、生きる価値がないのか」と反発されるかもしれませんが、もちろんそれは誤解です。ウィトゲンシュタインが言いたかったのは、人生に大満足している幸せな人だけが、「私の人生は意味がある」と実感できる、ということです。

これをウィトゲンシュタインは、独特の文体で、こう言います。

「幸福な生は、それが唯一の正しい生であることを、自から正当化する。」
(『草稿』)

「幸福な人生」だけが、何の理由も証明もなしに、「意味のある人生」といえるのです。

もちろん、幸福な人生に意味があるからといって、本人が幸せだと感じれば何をやっていてもよい、ということではありません。偽りの幸福を追っていた人は、目的を誤っていたと知らされた時、無意味な人生だったと後悔します。

「本当に意味のある人生」とは、「本当の幸福に生きる人生」だけです。

生の問題の解決

「生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気づく。」
(『論理哲学論考』)

「私の生きる意味は何でしょうか」という悩みには、いろいろな答えがなされます。

  • 「自分の能力を発揮することが、人生の意味ですよ」
  • 「社会に貢献するために、生きているのです」
  • 「生きる意味を探すのが、生きる意味です」
  • 「今まで生きてきたことは、立派なことです。あなたは、生きているだけで、意味があるんですよ」
  • 「あなたが"これだ"と選んだことが、あなたの生きる意味です。大事なのは選択です」

その他、もっともらしい解答は、幾つもあります。

聞いた時は、感動したり、いやされたりするかもしれません。
しかしそれらはすべて、時間がたつと、「でも本当に、こんなことをやっていて、意味があるのだろうか」という疑問が生じて、スタート地点に逆戻りです。根拠のないアドバイスだったからです。

「生きる意味は何か」という問いは、「あなたが生きる意味は○○です」と答えを聞いて、「何だ、そうだったのか」と解決する問題ではないのです。

本当の幸福に生かされて、「人間に生まれたのは、このためであったのか!」と、生命の大歓喜を味わった時、それまで胸にふさがっていた「生きることに意味などあるのか」という暗い心が吹き飛びます。

同時に「この幸せになるための人生だったのか」と、生きる意味も目的もハッキリしますから、もはや「生きる意味なんてあるのだろうか」と問う必要がなくなり、「問い」そのものがなくなってしまうのです。

「生きる意味は何か」という悩みは、「それは○○だ」と解答を知ることによってではなく、悩みそのものがなくなることによって、解決されます。

これをウィトゲンシュタインは、このように述べているのです。

生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気づく。
(『論理哲学論考』)

「幸福に生きよ!」

ウィトゲンシュタインによれば、人生の目的は幸福になって満足することであり、人生の目的を果たした人とは、本当の幸福になって大満足した人です。

「幸福な人は現に存在することの目的を満たしている、とドストエフスキーが語る限り、彼は正しいのである。あるいは、生(きること)のほかにはもはや目的を必要としない人、即ち満足している人は、現に存在することの目的を満たしている、と語ってもよいであろう。」(『草稿』)

「生きる意味」も「人生の目的」も、「本当の幸福になること」です。「それが答えなの?」と思うかもしれません。しかしウィトゲンシュタインは、「実はこれら全てが或る意味で深い秘密に満ちているのだ!」と言っています。

この謎を言葉で説明するのは、困難を極めます。言語の限界を知り尽くしていたウィトゲンシュタインは、結局、こう書くしかありませんでした。

「幸福に生きよ!、ということより以上は語りえないと思われる。」
(『草稿』)

「幸福に生きよ!」

――この先は、ウィトゲンシュタインが言うとおり、哲学を超える問題です。

論理哲学論考 (岩波文庫)

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ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)

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